ニュージーランド、一歩のブログ

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【忘れえぬ山】#2 カムイエクウチカウシ山からコイカクシュサツナイ岳へ


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26歳頃の話である。
当時、東京でシステムエンジニアとして働いていた私は「仕事が充実している」と自分に言い聞かせながら、実のところひどく疲弊していた。仕事が自分の世界とは遠くかけ離れた世界のように感じていた。仕事と山。僕の心は完全に二極分化していた。だから少しでもまとまった休暇があるとすぐにひとり山に逃げ出すのだった。
 
その夏、京浜東北線に揺られながら「山に行きたい」という気持ちがくすぶり、激しく燃え上がりだした。自分にとって何か手ごたえのある山に登りたい。充実感のある山に登りたい。私は日高山脈のカムイエクウチカウシ山を選んだ。

 

どこでこの山を知ったのだろう?。星野道夫さんの本の中に出てきたろうか。「カムイエクウチカウシ」という謎めいた響きが心をとらえた。登山道がしっかり付いている日本アルプスの山と違って、沢を登っていかなければ登れないらしい。冒険心がかき立てられる。

 

そして私は、登ってきた道を戻るピストン登山ではなく縦走がしたかった。テントを担いで歩き、食べ、泊まるという繰り返しに充実感を感じていた。カムイエクウチカウシ山の先には「コイカクシュサツナイ岳」というこれもまた魅力的な名前の山がある。その先にも「1839峰(いっぱさんきゅうほう)」「ペテガリ岳」と続き、もうどこまでも縦走したいと思った。

 

私はこのあたりの2万5千万分の1地形図を買ってきては、テープでつなぎ合わせて壁一面に貼り、眺めた。稜線や沢を色鉛筆でなぞったりした。どこまで行けるか考えていた。

 

しかし日高山脈はとてつもなくでかかった。勢いあまって襟裳岬まで地形図を買って繋いでみたものの、もう壁の大半を占める大きさになっており、はたから見ると正気の沙汰ではない光景である。そして、実際自分が一人で行ける限界を知って愕然とするのだった。

登山ルートを本で調べていくうちに、カムイエクへのピストン登山、コイカクへのピストン登山が主要ルートとして実線で紹介されていて、そのオプションルートとしてこの2つの山をつなぐルートが点線で記されていた。

 

私はこのルートこそが自分が行ける限界で、少し限界を超えているとも感じた。3泊4日の旅。1日目は札内川を歩き、その分岐である八の沢を遡上していく。カムイエクウチカウシ山直下の八の沢カールで1泊。2日目はピラミッド峰を越えて稜線を縦走しコイカクシュサツナイ岳を目指す。しかしどう考えてもコイカクシュサツナイ岳を超えて水場がありサイトできる上二股まで下りるのは時間的に不可能に思えた。だから、稜線のどこかで1泊しないといけないが、水場がない。私は10リットルのポリタンを用意して水を担いで歩くことにした。若さゆえ、荷物だけはどれだけでも持てるという根拠のない自信があった。稜線上のどこかで2泊目のテントを張る。3日目はコイカクを越えて上二股まで下り3泊目。4日目はコイカクシュサツナイ川を下って下山。

 

仕事から社員寮に帰って夜中、トレーニングとして赤羽付近の公園を10周走ることを日課にしていた。ある日から会社の同僚であるD大ワンゲルOBのKさんが一緒に走るようになった。私は彼に日高山脈の計画を話していたが、ある日、「お前が巨大なハチにさされる夢を見たから日高山脈に一人でいくのはよせ」と不吉なことを言ってきたが、私の決意は微塵も揺らがなかった。

 

                 *

 

無事10日間の休みが取れるや否や、ザックに一式詰め込んで飛行機で帯広へ飛んだ。帯広空港からタクシーに乗り中札内村へ。

わらじに地下足袋スタイルで札内川を歩き始める。緩やかな流れを歩く気持ちのよい沢登りだ。八の沢の分岐までに2、3人の人とすれ違った。
八の沢分岐にはテントを張っている人たちもいて同じように八の沢カールへ向かう人たちもいた。少しほっとしたのを覚えている。

八の沢を遡上して八の沢カールに登り切ったところでわらじがバラバラに崩壊した。重い縦走装備にわらじが耐えられなかったようだ。でも、とにかくここまでもってくれて助かった。ここから先はザックにくくり付けていた登山靴に履き替えた。

1泊目のテント場、八の沢カール。右手にカムイエクウチカウシ山、左手にピラミッド峰を望む、素晴らしいカール地形だ。

テントを立ててカムイエクウチカウシ山のピークに向かった。明日は早朝から縦走路に出たいのでカムイエクのピークは今日中に終わらせておきたかった。ピークからの眺めはきっと美しかったはずだが、20年たった今、その記憶には霞がかかっていて正直思い出せないのである。

八の沢カールには3、4のパーティーがテントを張っていた。
翌朝、早朝ピラミッド峰へ登りはじめる。出発のタイミングが合ってしまい、社会人の先輩、後輩とおぼしき2人組に後ろから追い立てられるような感じでピークに着いた。
その後輩の方がこっちを向いて「俺も縦走したいっすよ。」と言っていた。若い私は誇らしげだった。「俺は縦走する。ここからが本番だ。」と静かに息巻いていた。実際、縦走路は登山道というより獣道であった。背丈よりも高い熊笹をかき分けながら、稜線を下って行く。そして何より私の頭の中を支配していたのは、野生のヒグマのことであった。

稜線を歩き始めてしばらくは、この先自分が本当にひとりぼっちになることをわかっていなかった。でも気が付けば誰もこちらに向かうものはなく、さっきまでの人たちは皆、八の沢カールに引き返していったことに気づく。ザックにつけた熊よけの鈴がたよりなく鳴っている。私は自然と大きな声で歌いながら道なき道を下って行った。

記憶に鮮明に残っているのはヒグマの糞だ。こんな巨大な糞を見たのははじめてだったから。稜線を下った熊笹がひらけたところにヒグマの糞が大量にあった。内心びびっていたに違いないが、恐怖に対してもうどこか心がシャットダウンしていて不思議と意気揚々と歩いてゆくのだった。

 

次にはっきりと覚えているのはとてつもない疲労だ。どこまでもどこまでも続く熊笹の獣道。私はもう自分を駆り立てて歩くしかなかった。時に歌いながら、時に黙々と。
そして少し開けた小ピークでザックを降ろして休もうとしたときに、疲労困憊でそのままぶっ倒れてしまった。こんなぶっ倒れ方は後にも先にもこの時だけだ。そしてザックの上でそのまま寝てしまった。

 

ふと見まわすと私のザックのまわりに編み傘を被った7、8人の男たちが同じように荷物に腰かけて休んでいる。地下足袋にわらじ、黒い羽織を羽織っている。

 

はっと目覚めてしばし呆然としていた。江戸時代に蝦夷地を探検した人たちの夢か幻か。

どれくらい寝ていたのだろうか?まだ日は暮れていなかった。少しエネルギーが充填された私はもう少し歩いてどこか稜線上の開けたピークでテントを張ろうと決め、また歩き出した。

 

今地図を見直してみて、コイカクシュサツナイ岳の少し手前だったから、1826mと記されている小ピークにテントを張ったのだろう。いつもの緑色の一人用エスパース。

 

夕暮れ時、オレンジ色に染まる日高山脈はどこまでもどこまでも折り重なってつづき、果てに襟裳岬が見えるのではないかと思うくらいだった。行く手のコイカクシュサツナイ岳のさらに向こうのヤオロマップ岳に滝雲が美しくかかっていたのを覚えている。そしてその右手に1839峰がひときわ美しくそびえていた。振り返れば、これまで歩いてきた稜線とカムイエクがもう遠くになっていた。

翌朝テントをたたみコイカクを目指した。コイカクの手前であまりにも下っていくのでこれをまた登りかえすのかと思うとぞっとした。高度を下げていくにつれて藪がまたいっそう深くなっていってさらに不安になったのを覚えている。

そして急登がはじまり、登りに登って「コイカクの頭」に着いたときの強烈な記憶は、ジリジリと焼けるような暑さだ。ジリジリと音がしていそうなくらいだった。ザックの上に仰向けに寝転んでジリジリと肌を焦がしながら1時間くらいそのまま寝た。

 

そして寝転びながら、この大きなカール一帯に、焦げたような香ばしい野生の匂いが漂っているのを感じていた。それは明らかにヒグマの匂いだった。どこかでヒグマが私を遠くから見ている。日高山脈のど真ん中で一人。昨日ピラミッド峰を越えて以来、人間に会っていなかった。こんなに長い時間、人間と出会わないのは生まれてはじめてのことだった。

 

コイカクシュサツナイ岳からの下りは果てしなく続くジグザグの急下降だった。歩いても歩いてもたどり着かないので気がおかしくなりそうなくらいだ。最後、背丈よりも高い笹をかき分けて進んだ先の沢のひらけた場所に一張りのテントを見つけたとき、ホッとして力が抜けた。久しぶりの人間の気配。

 

テント泊していたのは北海道在住のカップルだった。昨日コイカクをピストンして下山してきたらしく、「はじめての日高山脈でカムイエクからコイカクまでの縦走はたいしたもんだ」と私の縦走を褒めてくれた。私はまたも誇らしげだった。私は帰りのことは全く考えていなかった。林道をひたすら歩いてゆけば町に出るだろうくらいに考えていたが、彼らは登山道の入り口に車を停めているので、明日の朝一緒に出て、町まで車で送ってあげると言ってくれた。とてもやさしい人たちだった。

翌朝あまりの疲労に寝坊するという失態を演じてしまったが、2人は待ってくれていた。3人で少し間を開けながら川を下って行った。どこか静かに時が流れる何とも素敵な沢歩きだった。

 

どこまで送ろうか?と聞かれて、中札内村美術村まで、とお願いした。この旅でどうしても行っておきたい場所だった。
学生時代に山をやり、北海道で開墾生活に入り、その後画家になった坂本直之さんの作品が展示してある。星野道夫さんの本の中で坂本直之さんのことを知り、その力強い画風、生き方に強く憧れていた。

 

美術村では坂本直之さんの作品を実際に見て、「開墾の記」「原野から見た山」「続・原野から見た山」という直之さんの本を買って帰った。

 

帯広駅前では甲子園に出場する(あるいは凱旋した)高校生たちのセレモニーで人だかりができていた。私は帯広名物を食べておこうと豚丼なるものを食べて帰路についたのを覚えている。