ニュージーランド、一歩のブログ

趣味、山。職業、料理。上手くなりたいこと、写真。好きな歌手、エレファントカシマシ

【エレカシ感想文】#8 さらば青春/エレファントカシマシ


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遠い 遠い 遠い 遠い日々を
僕ら歩いていたけれど

この出だしだ。「遠い」「遠い」「遠い」「遠い」

同じ言葉を4回も続けて始まる歌を他に知らない。

他の歌手の歌なら違和感がありそうな始まり方だが、この歌の始まりは全く違和感がない。低く静かに始って、だんだんと大きくなっていく「遠い」に、心を掴まれる。聞き入ってしまう。

 

男にとって、その日々はそれほど遠く感じられるのだ。

 

好きだった女性がもはや遠くに行ってしまって、声も届かない、触れることもできない思い出の中だけの存在になっている。「遠い」ことは、切ない。

 

今町を一人で歩きながら、その遠い日々を思い出している。

「僕ら」=自分と別れた彼女は遠い昔、この町を一緒に歩いていた。

 

いつも通り町はいつもの顔で
ふたりを包んでいた

「いつも通り」、「いつもの顔で」というのは変わらないということ。

ふたりの楽しい日々は変わるはずがなく、いつまでも続くと思い込んでいた。

町がふたりの幸せを「包んでいた」

 

久しぶりさ 町は夕暮れ過ぎて
輝き始めたけれど

昔二人で歩いた町を今一人で歩いている。久しぶりだ。

「夕暮れ過ぎて」は月日の経過を表現している。

変わらないと思っていた二人の関係が変わり、二人が別れたことを示唆している。

夕暮れが過ぎて、冬の町に街灯がつき、ショウウィンドウが明るくなり、行き交う人たちもどこか楽しげだ。皆、肩を寄せ合いながら急ぎ足で歩いている。

 

俺は 俺には 俺には 俺には何も
何も見えなかった

しかし、一人歩く俺の目には何も見えない。町の輝きも何もかも。目の前が真っ暗だ。もはや隣に彼女がいないから。

 

あぁ 俺は 何度も 何度も叫んだけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中

俺は最後の別れ際、振り返ってくれと、彼女の名前を何度も何度も叫んだ。

しかし、君には届かなかった。君は行ってしまった。

今、君の名前を呼んでも君に届くことはない。それほど、ずっとずっと遠い思い出の

彼方に君は行ってしまった。

 

冬のにおい 俺はいつもの町を
ひとり歩いていたけれど

「冬のにおい」。人の記憶はにおいと紐づいていることがよくある。かつて冬にこの町を彼女とよく歩いた。その町を俺は一人で歩いている。

 

ばからしいぜ 遠い遠い夢を
重ね合わせていた

ばかばかしいが、気が付けば、今ひとりで歩いているこの町に

遠い昔の、夢か幻かのように霞んでいる彼女との思い出を

重ね合わせていた。

 

あぁ 俺は 何度も 何度も叫んだけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中

 

(繰り返し)

 

嘘つきじゃないさ 時間が過ぎただけさ
涙こぼれて ただそれだけ

ただ、時間が過ぎていっただけにすぎない。彼女と出会い、別れただけ。ただ、なぜだか涙がこぼれるだけ。それだけだ。嘘じゃない。

 

(俺は嘘つきだ。本当は死ぬほど苦しく、死ぬほど悲しい。忘れることができない。)

 

僕ら そうさ こうして いつしか大人になってゆくのさ
いざゆこう さらば 遠い遠い青春の日々よ

世間ではよくこうやって出会いと別れを繰り返して大人になっていくと言うじゃないか。さあ行こう。さらばだ、我が青春の日々よ。彼女との楽しかった日々よ。

 

(俺は死ぬほど苦しい。死ぬほど悲しい。苦しさと悲しさを背負って、「さらば」と言って、行くしかないだけだ。)

 

あぁ 俺は 何度も 何度も抱きしめたけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中

 

俺は、何度も何度も君を抱きしめたけれど、今は君に触れることすらできない。

君はもう遠くに行ってしまって、思い出の中にしかいないのだから…。

 

※ 本文中引用文太字はすべて「さらば青春」作詞・作曲 宮本浩次