ニュージーランド、一歩のブログ

趣味、山。職業、料理。上手くなりたいこと、写真。好きな歌手、エレファントカシマシ

【エレカシ感想文】#9 武蔵野/エレファントカシマシ


ブログランキングに参加中
▼応援クリックお願いします!
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

遠くから近づいてくる規則的な小太鼓の音がだんだんと大きくなってこの曲は始まる

 

昔、小学校の音楽の時間に聴いた「ボレロ」のよう

 

この小太鼓のリズムが電車のガタンゴトン、ガタンゴトン、…という音に聞こえる

 

男は電車のドア付近に立ち、揺られながら外を見ている

車窓からは目の前を大きな川が流れ、向こう岸が遠くに見えている…

 

向こう岸には現代の東京の高層ビルが立ち並んでいるが

男の目には、どこまでも広がる”武蔵野”の地平線が鮮明に蘇っていた

 

規則的な小太鼓の音に爆発的なギターの音が加わる

この爆音とともに、男は過去にタイムトリップし、車に乗ってどこまでも広がる”武蔵野”を疾走していた

 

この部分は、歌を聴いた感想ではなく、「武蔵野」のプロモーションビデオの強烈なインパクトが入っている。

 

”武蔵野”をニヒルな顔で疾走する宮本浩次

 

黒澤明の「夢」というオムニバス映画に、主人公がゴッホの絵を見ているうちに、絵の中に入ってしまい絵の中を旅をするという1篇があったが、それを思い出した

 

突如イメージの中に現れた、かつての東京、"武蔵野"を旅する

 

この歌の中で2つのことが重ね合わせて歌われる

”武蔵野”(かつての東京の姿)のことと別れた彼女のこと

どちらも夢、幻だったのかもしれない、と思えるほど、遠くに霞んでいる存在

 

俺は空気だけで感じるのさ
東京はかつて木々と川の地平線

川の向こう岸の東京の高層ビル群を車窓から眺めているうちに

かつての東京の姿、”武蔵野”の姿がイメージとして蘇ってくる

 

大都会、江戸の西側一帯にどこまでも広がる雑木林と原野の地平線

その間を大きな川が縫うように流れている

 

世の中は変わってゆき、江戸は東京になり、かつての”武蔵野”は都市化の波に飲み込まれてしまい、もはや見る影もない

 

しかし男は”武蔵野”を「空気だけで感じる」という

ここに存在する空気はあの頃と同じ空気だ

この空気を吸うだけで、男は”武蔵野”を感じることができる

確かにここに”武蔵野”が存在していたのだ

 

恋する人には 輝くビルも
傷ついた男の 背中に見えるよ

川向うにそびえているビル

大都会、東京を象徴するように光り輝き

文明の力を誇示するかのようだが

恋に破れた男には

傷ついた男の背中に見えるだけだ

 

武蔵野の坂の上 歩いた二人
そう 遠い幻 遠い幻...

かつての”武蔵野”の坂を2人で散歩したっけ

でも、それは遠い遠い記憶の中

夢か現実かわからないほど遠い記憶の中

 

悲しい気分じゃないけれど
ニヒルなふりして笑う男の

遠くに消え失せた”武蔵野”に哀愁を感じている

あるいは、別れて遠くに行ってしまった彼女を思い出している

でも、悲しい気分に浸っているわけじゃない

時が経ってしまって、それらの面影が現実ものであったかどうかもわからないくらい

霞んでしまって、空虚な心で笑うしかないんだ

 

電車にガタゴトゆられてたら
まるで夢のように蘇る

この部分がこの歌全体の場面設定であると感じた

電車に揺られて車窓から見た東京から、”武蔵野”が蘇り、思いがめぐるという設定

 

武蔵野の川の向こう 乾いた土
そう 幻 そんなこたねえか...

東京はもはやアスファルトで覆いつくされていて、土はない。

「乾いた土」は"武蔵野”の象徴だ

道はすべて土であり、空っ風が吹いて、四六時中砂ぼこりが舞い上がっている

”武蔵野”のドライなイメージ

 

俺には、川の向こうに”武蔵野”が確かに見える

いや、もしかしたらそんなもの存在しなかったのかもしれない。幻なのか。

いや、そんなことはない。武蔵野は確かに存在したんだ…

 

俺だけ 俺だけ 知ってる
汚れきった魂やら
怠け者の ぶざまな息も
あなたの優しいうたも 全部
幻 そんなこたねえか...

跡形もなく消えてしまったけど、俺だけは知っている

あの頃の汚れていた自分

怠惰であった自分、ぶざまな自分

あなたが俺に歌ってくれた優しい歌

そんなあなたと過ごした日々は、”武蔵野”のように遠くに霞んで見える

もしかしたら、すべて幻で、存在しなかったのかもしれない

いや、そんなことはない、確かに存在したんだ…

 

俺はただ 頭の中
イメージの中笑うだけ
俺はただ 笑うだけさ

時が経ってしまって、それらの面影が現実ものであったかどうかもわからないくらい

霞んでしまって、空虚な心で笑うしかないんだ

 

武蔵野の川の向こう 乾いた土
俺達は 確かに生きている

でも、遠くに霞んでしまっても、”武蔵野”は確かに存在していた。あなたとの日々も確かに存在していた。

そして、今俺達は確かにこの東京でこうして生きているのだ。

(行くしかねえ。)

 

小太鼓の規則的なリズムがだんだん小さくなって遠ざかっていく

”武蔵野”をイメージの中で旅していた場面から、電車のシーンに切り替わり、現実世界に返ってきた感じ。遠くになっていく電車。

 

最後に、SFチックなコンピュータ音が数秒入っている。これは何だろう?

これは、男がイメージの中だけで”武蔵野”を旅していたのではなく、実際にタイムトリップしていたことを暗示している、と妄想解釈した。

 

※ 本文中引用文太字はすべて「武蔵野」作詞・作曲 宮本浩次