「季節はずれの男」が収録されているアルバム『俺の道』は私にとって最も突き刺さるアルバムである。繰り返し聴きたくなる。
アルバム全体を通して、宮本浩次にとっての「俺の道」とは何かが表現されている。
オノレの道を行け
オレはロック屋
オレはロック歌手
「人生においては何をやったって構わないが
オレの心と相談して嫌だなと思ったら立ち向かえ」(「ロック屋(五月雨東京)」アルバム『俺の道』)
そう俺はロック歌手歌えよ いわば毎日が
ラスト・ゲーム 声がまだ出るうちに(「ラストゲーム」アルバム『俺の道』)
俺は歌手ならば歌えよラスト・ゲーム 勝負しなよ
(「ラストゲーム」アルバム『俺の道』)
本当は愛してやまない この毎日を
いい加減に過こすのは やめなよ(「俺の道」アルバム『俺の道』)
つまり、宮本浩次の「俺の道」とは、仕事であるロック歌手として歌を作り、歌うこと。そしてそれは自分自身との真剣勝負であり、いい加減にしたくない。
そして「季節はずれの男」には、宮本浩次がどれほどの覚悟で「俺の道」を行く、と言っているかが表現されていると思う。
雨の中俺は遠くへ出かけよう
またひとつさよならを言おう
自分も他者も含めた怠惰なものからの決別を表現していると思う。
目の前にある怠惰にひとつまたひとつ決別していっている。
ここの出だしのメロディの決別感が半端ない。
「俺は勝つ」まじめな顔で俺は言う
「俺は勝つ」俺の口癖さ
ロック歌手という仕事を真剣勝負でやっている。だからいつも「俺は勝つ」と言っている。
おのれに言い訳するな ダサいぜ
「言い訳」「怠惰」「誤魔化し」といったものは「ダサい」「カッコ悪い」。
俺は「カッコイイ」勝負をしたい。このあたりは「ラストゲーム」の歌詞と混ざり合う。
目の前にある怠惰にじゃれている俺 カッコ悪い
(「ラストゲーム」アルバム『俺の道』)
言い訳じゃない誤魔化しでもないラスト・ゲーム 勝負しなよ
リアルな日々にでもどこかしらカッコイイ勝負をしなよ(「ラストゲーム」アルバム『俺の道』)
季節はずれの男よ ひとり歩め
「季節はずれ」とは世間と自分のズレを表していると思う。
宮本浩次は小学校5年の時、そのズレを自覚したが、世間に流され、合わせるのではなく、「自分の心と相談して」生きるという覚悟をした。
「ひとり歩め」という表現からエレファントカシマシというバンドのことではなく、あくまで宮本浩次の個人的なことを言っていることが分かる。つまり、俺は真剣勝負をしてひとり歩いている。お前たちはどうだ?と言っているようだ。バンドの仲間にも、真剣勝負の緊張感を求めている。これは最後の「ライバルで無き友よさらば」という強い言葉に繋がっている。
オレは小学校五年の時 仲間から取り残されて
無意味なる気遣いの習慣を得た
雲の切れ間の陽の光あびて テリトリーの違いが身にしみたオノレの道を行け
(中略)
「人生においては何をやったって構わないが
オレの心と相談して嫌だなと思ったら立ち向かえ」(「ロック屋(五月雨東京)」アルバム『俺の道』)
今夜は俺はズブ濡れさ 夏の町をウロウロと
ウロつくネコを見つめてた
冒頭から男が夏の夜、雨の中を歩いているという場面設定だった。傘もささずにズブ濡れである。
そこに一匹のネコの歩く姿が。ネコももちろんズブ濡れである。ネコは傘はおろか着る服さえない。が、つるまず、何にもよらず、自分の意志で、自分の足で、平然と「ひとり歩く」ネコにいさぎよさを感じ、見つめている。自分のあるべき姿を重ね合わせている。
朝起きて俺はいったい何しよう
ロック歌手が俺の仕事だが
普通のサラリーマンと違って、ロック歌手というのは完全に自由業で、朝起きて何をするのも自由だ。極端に言うと何もやらなくても、何をやってもいい。だが、自由である一方ですべて自分に結果が帰ってくる。
ロック歌手というのは、好きでやっている、楽しみでやっている、となんとなく私たちは思っている。この「ロック歌手が俺の仕事」と言い切っているところが、カッコイイのである。こんな歌手他にいるだろうか?
いつものヤツラと俺今日もつるんで
したり顔して歌ってるけど
バンドのメンバーと分かったような顔をして歌っているけれど
パロディよりも悲しいおどけ者
努力を忘れた男のナミダは汚い
努力なしに、怠惰に、ただ漫然と歌を作って歌っているロック歌手というのは喜劇というより悲劇だ。カッコ悪すぎる。ダサすぎる。
そして、努力をせずに勝負をせずに負けて(共感を得られず売れなくて、自分の不甲斐なさに)泣く男ほど醜いものはない。その涙は美しいのではなく、汚い。
この「努力を忘れた男のナミダは汚い」という強い表現は、聴いたすべての者の胸に突き刺さっていることだろう。
言い訳するなよ おのれを愛せよ
鳥が飛ぶように俺よ歩け
ライバルで無き友よ さらば
鳥もまたネコと同じように一人でいさぎよく自由に生きている存在。そんな風に歩いて行きたい。
俺は仕事に対して真剣勝負をしている。同じように真剣勝負をしているライバルだけが友に値する。そうでない友とは決別する。これはエレファントカシマシというバンドに強烈な緊張感を与える言葉だ。なあなあではなく、緊張感のあるライバルという関係がエレファントカシマシを唯一無二のバンドにしている。
雨の中俺は遠くへ出かけよう
またひとつさよならを言おう
(繰り返し)
遠い記憶じゃ 遠い記憶じゃ
親に抱かれた男よ ひとり歩め
男は生まれたときは親に抱かれている。はじめは親の助けで生きている。そしてある日親の手を離して、一人で歩けるようになる。その時は無垢である。自分の足で、自由に自分の心と相談して歩いている。その時のようにひとり歩めと言っている。
年月が滲む 怠け者
大人になるにしたがって、仲間とつるんだり、周りの人に合わせたり、なあなあな関係を築いてしまう。言い訳したり、妥協したり、努力をしなくなったり、怠惰になったりしてしまう。
季節はずれの男よ ひとり歩め
言い訳するなよ おのれを愛せよ
鳥が飛ぶように俺よ生きろライバルで無き友よ さらば
(繰り返し)
俺は俺の道を行く。お前はどうだ?と問いかけているのではなかろうか?「男は行く」という歌の一節を思い出した。
俺はお前に負けないが
お前も俺に負けるなよ(「男は行く」アルバム『生活』)
※ 本文太字の引用文はすべて「季節はずれの男」作詞・作曲 宮本浩次