この歌は、宮本浩次が埼玉古墳群を訪れたときの驚きを表現した歌と言われている
ちまたでは「古墳ロック」と言われているらしい
人々が薄々思ってはいるが、普通なら言うのも憚られるようなことを、音楽の力を借りて激しく表現してくれるのがロックならば、この歌は強烈なロックだ
ただの「古墳ロック」ではない、と思う
もっと根深い、日本人のしがらみ、呪縛を歌った歌であると感じた
「暴力とずる賢さでたどった栄華の極致」「世俗の信仰の権化」という詩を聴いて
これは天皇、あるいは天皇を崇める日本人の精神を歌った歌だと思ったのだ
そいつは立ってた。 そして 突然現れた。「オマエハナンダ? ココハドコダ?」吃驚したぜ。 風が吹いてた。荒野の感じがした。におい立つ 真夏の草の果てにある オマエは正しく、ウチュウ。
車を降り、古墳を管理している公園の敷地内をしばらく歩いていくと
突然目の前に大きな古墳が現れた
この時、宮本浩次は吃驚して古代にタイムスリップする
「オマエは何だ?」「ここはどこなんだ?」
今では古墳の表面を覆いつくしている草が風に揺れている
日本の蒸し暑い真夏 セミの声 草いきれ
管理されている公園内にあるはずの古墳は、古代の荒野の中に立っている
オマエ(古墳に埋葬されている豪族)は正しく宇宙、すなわち全ての支配者だ
その圧倒的な存在感
ヒトの歴史または情け以上。暴力とずる賢こさのたどった栄華の極致。 世俗の信仰の権化ゆえに ヒトハダノニホイ渦まいて 俺・逃げ出した、何して馬鹿だね。結局俺、オドルんだ。
人間の歴史とは「情け以上」のもの
つまり誰かが誰かを支配するときに「情」という温かい平和な関係で支配することはない
それは常に「暴力とずる賢さ」によってなされる非情な支配だ
この古墳に埋葬されている豪族も暴力とずる賢さによって民衆を支配し栄華を極め、この巨大な墓を作らせ、そこに眠り、死してなお精神的に支配しつづけた
民衆は豪族の眠る巨大な墓を守り、崇めはじめる
豪族はついに「世俗の信仰の権化」となった
つまり、暴力とずる賢さで栄華を極めた「世俗」の支配者でありながら、信仰の対象となった
埼玉古墳群に眠っているのは関東の一地方豪族にすぎない
弥生時代につづく古墳時代(3世紀後半~7世紀初め)は、畿内を中心とするヤマト王権が、埼玉古墳群に眠るこの豪族のような地方豪族を束ねながら日本全国を支配していった時代である
そのヤマト王権の王こそ天皇である
トップ・オブ・ザ・トップである
宮本浩次は「オマエ」の中に「世俗の信仰の権化」たる天皇の存在を見ていると感じた
「世俗の信仰の権化」と聞いて天皇以外に思い当たらないからである
令和の現在においても天皇や皇族への多くの日本人の感情には「信仰」を感じる
「ゆえにヒトハダノ二ホヒ」という部分も理解できる
キリスト教におけるローマ法王のような純粋な宗教上のトップでない、権力闘争の末の世俗のトップである天皇にはどこかしら人間臭さを感じるというのだ
天皇制というルールに疑問を抱いている、
疲弊したルールを壊して新しいルールを作りたいと思っている、と感じた
宮本浩次の詩の中に時々出てくる「革命」をこの歌にも感じる
が、あまりのでっかさ、強さに宮本浩次は逃げ出した
「結局、このルールの中で俺も踊っているんだ」
ひょうろく玉のドタマブッ飛ぶトチの愛。オレは突っ立って 泣いた。 太陽がおちてヒトカゲ無くて 遠くで鳴ってる 生活の音が 人口の多い、この国の俺を彼方へ飛ばす。 「オマエ・デッケェナ。」
「ひょうろく玉」とは「間抜けな人」を表す言葉らしい
日本人が何の疑問も持たず、相も変わらず天皇を崇拝していることを表現しているのではないか
間抜けな人たちが、ぶっ飛んだ思考で、土地(天皇)を愛している
俺は悲しくてやりきれず泣いた
どれだけ長い時間この古墳を見ていたのか、日が沈んであたりが真っ暗になっていた
もう公園の中には誰もいない
ふと気づくと、周りからは、電車の音、車の音、家々からの雑音など周辺の住民の生活音が聞こえていた
この精神的な支配の中で、ものすごい人口の日本人が疑問も抱かず、自分も含めて、みんな結構平和に暮らしている
この事実が俺を彼方遠くまでぶっ飛ばす
(弾き飛ばされる宮本浩次)
「オマエ・デッケエナ」
オレがミツメテるのはバケモノと決まった!!オレ、オマエのまわり恐る恐る辿ってまわってまわった。 「オ・レ・ニ・チ・カ・ラ・ヲ」「オ・レ・ニ・ュ・ウ・キ・ヲ」 あ〜あ、馬鹿馬鹿しいね、オレ 祈ってら
実際は、古墳のまわりをぐるぐる回っているが、
恐ろしく強い「バケモノ」のまわりを恐る恐るぐるぐる回って「革命」を窺っている人物を思い起こさせる
「オ・レ・ニ・チ・カ・ラ・ヲ」「オ・レ・ニ・ュ・ウ・キ・ヲ」
声が上擦って、震えている
同じ表現が"Soul rescue"というもっと「革命」を直接的に歌った歌詞の中にある
行くぜ!武器のない
我らはココロのそう
声に基づいて 神様
俺に 俺に力を!(中略)
俺に勇気を!(soul rescue 作詞作曲 宮本浩次)
「革命」を起こす力が今はないことを自覚しつつ「もっともっと力をつけよう」と歌っている
だが、結局、よくわからない「神」に「祈っている」自分がいる、という皮肉
恐らくは日本人と呼ばれる以前の死に絶えしヒトビトの祈り有りて、オンボロの想いを乗せた"インテリジェンス" の亡霊を、オマエ嘲笑う。 精一杯の ヒトの生命賛歌を。
古墳時代には、日本はまだ「日本」ではなく「倭」と呼ばれていた
その後の飛鳥時代にはじめて「日本」と呼ばれるようになった
日本がまだ日本でない、それほど昔に、天皇が権力闘争の結果、日本を統一し、人々は従い、信仰するに至った
恐らく死んでいった人々の天皇に対する「祈り」が現代まで分厚く積み重なっているのだろう
今では、もはやなぜだかわからないが天皇を崇拝している
「オンボロの想い」というのは、この千年以上の時間が経ってボロボロになっている、天皇を崇拝する気持ちをさしている、と思う
「”インテリジェンス”の亡霊」というのは、インテリジェンス=知識階級だから、人々が天皇を崇拝する気持ちを利用してずる賢くも実質的な政治支配を行ってきたものたちを表していると思う
例えば、飛鳥時代の蘇我氏などの豪族、平安時代の藤原氏などの貴族、天皇から征夷大将軍に任命されることで開かれた幕府(鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府)の将軍、さらには明治維新を経て天皇中心の国家を築いた明治政府…
第2次世界大戦敗戦後の現在の日本においても、アメリカが天皇の戦争責任を問わず、「象徴」として残し、政治支配に利用している
「オンボロの想い」を乗せた「"インテリジェンス"の亡霊」を
「オマエ」が嘲笑っている、という構図
「精一杯のヒトの生命賛歌」とは、絶大な天皇の支配力、影響力の中で精一杯に「踊っている」日本人たち(”インテリジェンス”の亡霊もただ天皇を崇拝する民衆も含めた全員)が、天皇の生命をよろこばしいと崇めているさまを表している、と思う
この日本人の生命賛歌を
「オマエ」が嘲笑っている、という構図
結局、「オマエ」が一番強く、自分を崇拝するものたちを嘲笑っている、と
ひょうろく玉のドタマブッ飛ぶトチの愛。オレは突っ立って泣いた。
繰り返し
恐らくは日本人と呼ばれる以前の祈り有りて、オンボロの想いを乗せた現代人の、生命賛歌よ。 セイメイサンカヨ。
この部分の歌詞も繰り返しだが、違いは一点だけ、「現代人」だ
他人事ではない
昔の事ではない
「現代のわれわれ日本人」が「生命賛歌」を精一杯歌って、天皇を崇拝しているのだ
セイメイサンカヨ!!
セイメイサンカヨ!!
このラストの宮本浩次の叫び声に感じるのは、
とてつもなく大きな呪縛の中で踊りつづける、(自分も含めた)日本人のやりきれない悲しみだ
※本文中の太字はすべて、作詞・作曲 宮本浩次