ニュージーランド、一歩のブログ

趣味、山。職業、料理。上手くなりたいこと、写真。好きな歌手、エレファントカシマシ

【忘れえぬ山】#3 鳥海山


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鳥海山は初めて一人で、泊まりで登った思い出の山である。

 

車の運転に全く興味のなかった私だったが、免許は学生時代に取っておいた方がいいという親の勧めにしたがい、大学4年の夏休みに自動車学校を探した。

 

寒河江市にある山形中央自動車学校の合宿免許の広告が目に留まった。「20日間で免許取得。宿泊費、食事代、大阪からの交通費込みで20万円。」こんな感じの広告だったと思う。免許のついでに東北の山に登れる、という理由でここに決めた。

 

部活では日本アルプスにばかり通っていて、東北の山に一度も登ったことがなかった。そして東北の山でまず最初に思い浮かべたのが鳥海山だった。富士山のようなキレイな円錐状の火山で海沿いにそびえているので素晴らしい眺めに違いない。また当時私は個人用のテントを持っていなかったので、山頂の山小屋で泊まれるのも好都合だった。

 

居ても立っても居られなくなり、山形中央自動車学校の合宿免許に申し込み、ザックに装備一式を詰め込んで新幹線に乗った。

 

宿泊施設は近くの立派な温泉旅館で、そこから送迎バスで自動車学校に通った。部屋は大部屋で20人くらいの人と雑魚寝した。私だけでかいザックを枕元に置いていて、ちょっと浮いていたに違いない。食事は畳敷きの食事部屋に移動して、お膳に焼き魚や温かい味噌汁、生卵などもあって、お櫃からご飯もお代わり自由であった。

 

最高。これは普通に温泉旅行だ。旅行を楽しめて車の免許までもらっていいのだろうか。合宿が終われば山にも登れる。

 

一方、車に興味のなかった私は学校では散々であった。担当教官がヤクザみたいなおじさんで横に乗るたびに東北弁の巻き舌で「お前はオートマにしろぉ」と脅迫してきたが、マニュアルを譲らなかった。当時「男はマニュアル免許」という神話があった。就職に有利とも言われていた。結局、その後の人生一度もマニュアル車には乗ることはなかったのだ。

 

学科の授業も九州生まれの私には本場の東北弁がまったく聞き取れず、教官のしゃべっていることがほぼ理解できなかった。

 

まわりの人が卒業していく中、私は延長組としてだんだん小さな小部屋に移動させられた。坂道発進ではエンストしまくり、結局最後まで縦列駐車もできなかったが、教官もあきらめたのか、4~5日延長後、私に免許が授与された。

 

ザックに荷物をまとめて日本海側に向かった。

 

吹浦駅からバスに乗って鳥海山の5合目鉾立まで。そこから登り始める。

 

この登山の時、私は少し緊張していた。ワンダーフォーゲル部のときには2週間日本アルプスを縦走したり、雪山にも登っていた。しかし1人で山に登り、泊ったことが一度もなかったのである。

 

ここまで書いてきて、25年の月日を感じる。「忘れえぬ山」というタイトルにしておいて言うのもあれだが、ほとんど忘れていることに愕然とする。

 

天候に恵まれて鳥海湖が美しかったこと、池塘がたくさんあってきれいだったことなどが薄っすらと思い出される。

 

だが、記憶に残っているものは確かにある。

 

小屋の前から眺めた日本海に沈む夕陽の美しさは鮮明に覚えている。

飛島という細長い島が黄金色に染まる日本海に浮かび、シルエットになっている。

振り返り見ると、山頂付近をぐるりと取り巻くごつごつとした岩の峰々が照らされて真っ赤に染まっていた。

 

そしてもう一つ鮮明に覚えているのは、山頂の山小屋での朝食であった。山小屋は鳥海山大物忌神社の宿泊施設であり、神主様がいらっしゃった。

 

早朝、キンとした寒さの中、食事部屋に行くとお膳が並んでおり、白いご飯、味噌汁、梅干し、たくあんなどの簡素な朝食が用意されていた。食べ始める前に、白装束を来た神主様が「私どもには質素な食事しか用意することができませんが、どうぞ召し上がって下さい。」といったようなことをおっしゃった。この寒い朝の空気の中で頂いた温かいご飯と味噌汁がとなんとも言えずおいしかったこと。何か特別な時間が流れていた。

 

そして、忘れもしない、はじめての山ではじめて道に迷ってしまった。

帰りのルートは行きとは別の祓川ヒュッテ方面に下りた。

 

鳥海山の広大な尾根を下ってゆく。昨日の登りの時はまわりにたくさん登山者がいたのだが、打って変わって今日このルートは私だけであった。

 

左手には大きな谷を挟んで、巨大な別の尾根が延々続いている。なんとスケールの大きな山なんだろうと思いながら、踏み後を頼りにどんどん下って行った。快晴で道もはっきりしているので大丈夫だ。

 

途中、少し急な感じがしたが、これくらいの道もあるのだろうと思いながら、どんどん下っていったら、そのうち崖のような急斜面に出てしまった。

 

これはどう考えてもルートとは思えない。

 

まわりに人がいないこともあって動揺を隠せなかったが、「道に迷ったら下るな、稜線上に上がれ」というどこかで教わったことを思い出し、せっかく下った道を果てしなく登り返した。そして見晴らしのきく稜線まで上がったところで自分が道を誤っていたことに気づき、正しいルートに帰ることができた。

 

助かった。山の教え恐るべし。

 

その後、木道が渡されたいくつかの静かな湿原を歩き、無事に下山することができた。

 

下山後、北余目という無人駅でザックを枕に夜を明かした。青春である。

夜に食料を調達するためコンビニでもないかと駅を離れようとしたのだが、街灯がまったくない本当の真っ暗闇で、ここでも遭難するんではないかと思い、食料調達を断念し来た道を慎重に戻った。

 

その夜、これまでに聞いたことのない規模のカエルの大合唱を聞きながら眠りについたのだった。